結局のところ、またここに戻ってくる。

ここの他にも他のブログサービスにてエッセイのようなものや、
とりとめのない文章を書き綴ったり、
とにかく落ち着きのない(定まらない)わたしだけれど、
結局、
そうだ、日記を書けばいいのだ。

という原点に戻る。

それで、さて、どこに書こう?と思った時、
日記のホームはどうやらここのような気がしていて。

数々の、書き散らかしたブログを放ったらかして、またここで、書いている。

今回のきっかけは、オードリー若林(さん)の新著、
といっても去年の夏に出てたんだけど↓コレ。







これを本屋さんで、立ち読みしてしまったことから。

そう、わたしは彼の前作↓ にも衝撃を受けて、悔しいけど彼の大ファン、になってしまっていた。


完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)
若林 正恭
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-12-25


前作にしても今作にしても、
彼にしか書けない世界観を全面に押し出した文章を惜しげも無く晒し、
それが面白すぎるっていう、完全にこれ、ジェラシーね!!

つまり、わたしもそれを望んでるってこと。
※ジェラシーって、そういう仕組みでしょ。全く興味のない偉業をしている人を見ても、何も感じない。

今作の帯にはこう書かれていた。
「若林節を堪能できる待望の新作」

そう、わたしはまぎれもなく若林節に魅了され、彼にしか感じ得ない独自の感受性と、それを忠実に表せる言語センスに、心底惚れ込んでいて。(それは本当にもう、悔しいくらいに。)

帯の「若林節」というワードを見ただけで、
悔しい。買い。
と、決めた。

そして。(そうここからが、いつだってポジティブシナモン。)
若林にしか若林節が書けないとしたら、
シナモンにしかシナモン節は書けない。
この感受性、この言語センス、誰と比べるまでもなく、当ったり前のことだけど、
唯一無二のものなんだ!
と、一瞬で悟ったわけ❤️❤️❤️

わたしが感じたままを書けば、すべてがシナモン節になる。
そうして書かれた文章は時に「堪能される」ものとなることさえある。
であれば、書くしかない。書かない理由なんてない。
一人ノートに思いを綴っているだけでは、満足できない。

感じたものを書くってことは。

そうだ、日記書こう。

そうしてこの人生何度目か(何十回目か)の同じ結論に達したわたし
からの、冒頭という流れである。←このへん悔しいけど、若林節の影響を受けている。ダサいけど、それもわたしだからしょうがない。

そうそして今回、何回目か何十回目かわからないけどまた日記を書いていこうと思ったときに決めたこと二つ。

★赤裸々に書こう。
★偽らずに書こう。

世間の目を気にして控えめに書かれた文章ほど、つまらないものなんてない。
(かつての自分の文章を見ても心底そう思う。)
赤裸々に。そして、自分の気持ちに偽らずに。
これは、わたしが小6から20年以上続けてきた手書きノートを書くときのルールでもある。

ノートがブログに変わったって、この心を捨てちゃいけないなと。
過去の数々の失敗(続かない、面白くない)を糧にするなら、まず第一がそこ。
でないとわたし自身、書いていたってまるで楽しくない。
(読む方も楽しくないに決まっているし、そんなものは読まれないに決まっている。読まれたとしても変な誤解を受け、困るのはわたし自身なのだ。)

そんなこんなで言い訳がましくシナモンダイアリーの再スタート。

しばらく質より量重視でいくよ。

LOVE❤︎fromシナモン💋💕